歌を歩く〜風の靴をはいて〜

 
「風の良寛」 「越後望郷」 「イスタンブール」 「歌を歩く」 「人生の帰り道」 「唄いそびれた夜を探しに」

CD「越後望郷」

越後望郷 瞽女のハルさん 桜遊行 ブータン
羽衣橋 オリオンの夢 黒髪ゆらせた風 紫陽花
カタクリの花 親不知・冬の旅 雪のように 
〜越後に嫁ぐ花嫁に〜
星のように月のように

CD『越後望郷』
カタクリの花
[作詩・作曲]藤本すすむ

 

カタクリの花が咲く 山裾の片隅
雨上がりの陽を受けて 慰霊碑が建つ
黒光りの御影石に 自分の姿が映る
カタクリの花を添え 慰霊碑を読む

『歩兵第七十五連隊通信隊慰霊碑文』

北朝鮮会寧歩兵第七十五連隊通信隊は、フィリピン島決戦の命を受け、昭和
十九年十二月、ルソン島北サンフェルナンドに上陸した。
二十年一月九日、リンガエン湾に上陸した米軍と、ナギリアン、ロザリオに
おいて、砲爆激化、熾烈なる戦闘を繰り返し、すでに兵力の半数を失った。続
いて山岳地帯ボンドッグローの戦闘では、弾薬・食料・通信機器の補給も全く
無く、飢餓状態での死闘を続けた。
特に通信隊は、通信網確保のため多くの隊員を失い、電波は敵の探知の目標
となり、大打撃を受け、砲爆撃下での連日の死闘で、通信隊も銃を取って陣地
の防衛に尽くした。
八月十六日、残存兵力を結集し、最後の総攻撃を敢行することとなっていた
が、八月十五日終戦。
フィリピン島入力兵士五十八万余、戦死者四十八万人。誠に補給絶無の過酷
な飢餓決戦であった。
祖国の安泰を願い散華した戦友よ、この地に安らかにお眠りください。

カタクリの花が揺れ 思い出した故郷の
年老いた父の顔 若い日の父
胸の内に秘めていた 一度だけ聞いた話
カタクリの花が揺れ 父の声が揺れる

ありゃ 二十五の時らった。
膝頭に銃弾受けたまんま 山道歩き ジャングルの中歩き そりゃ ひでぇ戦
争らった。 
ビルマで終戦向けぇてな。それから十ヶ月タイで抑留されたんだ。バンコク
から復員船に乗って、南シナ海、台湾、沖縄過ぎて、遠くに富士山が見えたと
き、「帰って来た〜!」皆で肩抱き合って泣いたもんだ。
浦賀で一週間検疫受けて、きれーげに髭剃って、田舎帰ってきた。そしたら
兄貴がサイパンで玉砕しててな。
兄貴が招集されたとき、「三人の子供ら頼むぞ」泣きながら出て行った姿忘れ
らんねし、田畑や先祖様の墓守らねぇだめらねっか。しょうがねぇ、兄貴の嫁
さんと一緒になってなぁ。
そしたらその頃、結核が流行っていて、その嫁さんも結核で死んでしもうた
が。そんで、川向こうの村から今のかかぁ嫁にもろて、あんにゃが生まれ、お
まえが生まれ、やっ子が生まれたんだ。

カタクリの花が咲き はかない命の春が逝く
この世に生まれてきた縁(わけ)を 花は知らない
山の上から人里を 無言で見据える観音像
カタクリの花の声 聞き入れながら

カタクリの花よ咲け 春に淡い紫の
生まれてくる場所も時も 選べないから

カタクリの花よ咲け 春に淡い紫の
生まれてくる場所も時も 選べないから


 
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